楽しい日記

好きなことや、思ったことを書いてます。

夢はいつか醒めるから夢なんだ

 

こんにちは、okinaです。

 

何か成し遂げたいものを「夢」と呼ぶことがありますよね。

「僕の夢はプロ野球選手になることです!」

とか

「素敵な男性を見つけて、結婚して、幸せになることが私の夢です!」

みたいな。

 

同じく眠っている時にも夢を見ますよね。

 

日本語にはよくありがちですが、一つの言葉に二つの意味が含まれています。

 

僕は最近、前者の使い方に違和感を覚えるようになりました。

というか、目標で良くない?

 

夢っていうと、叶わないし、いつか醒めてしまう。

それになんだかぼやけて見えてしまうと思う。

 

でも目標なら、それに対して、努力して、頑張ることができると思う。

 

だから、やりたいことがあるなら、目標と言った方がいい。

 

夢はいつか醒める。

夢のような時間だって、いつか終わる。

 

だから「夢」なんだ。

夢なんて言葉を使うより、目標の方が生産的だ。

 

それでは。

心の不感症かもしれない

 

こんにちは、okinaです。

 

書くことがありません。

どうしよう。

 

少し前までは生活している中で、思うことが色々あった。

大半が取るに足らないことではあるのだが、感じてはいたのだ。

 

ところが最近、何も感じなくなってきたのだ。

ネットサーフィンしていても、文字に起こすほど強く感じることがなくなってしまった。

 

ここ数日の記事は、思ったことを溜めておいて記事に起こしただけ。

 

本当に何もなくなってしまったのだ。

 

今まで経験した悩み事は、解決策が頭の中に思い浮かぶものばかりだった。

失恋は時間が解決してくれるし、お金がないなら働けばいい。

 

でも、この悩みはどうだろう。

 

何も感じなくなってしまいました。どうしたらいいですか?

 

わからん。

 

原因がわからないから、解決策もさっぱりなのだ。

 

今から4~5年ほど前、ハロウィンやサッカー日本代表の試合後に大はしゃぎする人たちが、大嫌いだった。

「こんなに騒いで、何が楽しいんだろう」とずっと思っていた。

 

好きの対義語は無関心、という言葉があるが、僕は違うと思う。

好きの対義語は嫌いだ。

好きだったり、嫌いという感情に伴って、人は行動を起こす。

好意的に接したり、嫌がらせをしたり。

だから、無関心というのは、「普通」の状態だと思う。

無関心だから、何もしない。それが好きという感情の対義語だと本気で思うのだろうか。

 

話が逸れました。

今となっては「どうでもいい」としか思えない。

僕に迷惑のかからない範囲でやっているなら、勝手にどうぞ。

 

そういった感情の行きつく果てが今なのかもしれない。

 

ツイッターやニュースで日々、飛び込んでくるものに対しても同じだ。

僕に迷惑がかからなければ、なんでもいい。

 

自分で、自分のことをこんなにも哀れだと思ったのは初めてかもしれない。

 

喜怒哀楽、熱意、そんなものがごっそりと抜け落ちてしまっている。

 

 

だが、正直、そんなに不安に感じているわけではなくて。

感じなくなること自体は何も問題ない。(問題はある)

 

一番怖いのは、何も感じなくなり、転じて人を攻撃してしまうことだ。

現に今、攻撃ほどではないが、人が楽しそうにしていたり、熱意のある人を見ると、とても妬ましく見える。

自分にないものを持っているのが、本当に妬ましい。

 

そういった嫉妬の感情が、人への攻撃に向かってしまうことが、今の一番の心配です。

 

別に僕はどうなろうといいんですよ。

ただ、人に迷惑をかけるのはいただけない。

 

ということで、ブログの更新頻度が減ると思います。

 

次、更新する時、人を攻撃するような人になってないといいなぁ。

 

それでは。

 

 

強者の理論について

 

こんにちは、okinaです。

 

「努力をしたら、夢は必ず叶う!」

「成功が出来ないのは、努力が足らないからだ!」

 

僕はこういう言葉をかけてくる人間が心底嫌いです。

どうしても、強者の理論にしか聞こえない。

 

強者の理論というのは、文字通り、強者が振りかざす理論のことです。

努力だったり、好きなことで生きていく、とかそんなことを言っている人がよく振りかざしているイメージがあります。

 

先に言っておきますが、僕は何かを叶える為には努力をしなければいけないと思っています。

ですが、失敗する理由は、努力だけではないだろうと思っています。

その辺りの感じていることを書いていきたいと思います。

 

 

突然ですが、東進ハイスクールという有名な進学塾がありますよね。

そこに通っている生徒が全員、希望する大学へ進学できると思いますか?

 

そうですね、全員は無理です。

何人かは不合格になってしまうでしょう。

 

その理由はなんでしょう?

努力が足らなかったから?

 

僕は違うと思います。

それは人それぞれ、環境が違うはずだからです。

 

通っている高校のレベルが違うかもしれません。

家庭環境によって、勉強時間の差が出ているかもしれません。

 

そんな人たちに、努力が足りないからなんて言えますか。

 

 

アフリカの貧困に苦しめられている子供たちに向けて、努力が足らないなんて言わないでしょう。

それと一緒ですよ。

 

 

僕は東進ハイスクール林修先生が好きです。

好きな言葉がいくつかあるのですが、その中の一つに

「努力は裏切らない、という言葉は不正確です。

正しい場所で、正しい方向を向いて、十分な量なされた努力は裏切らない、が正しいんです。」
というものがあります。
 
どんな物事でもそうですが、無駄な努力ほど意味のないものはありません。
冷たい言い方かもしれませんが、本当にそうだと思っています。
 
この言葉に当てはめると、正しい場所で努力ができなかったかもしれませんし、正しい方向が向けていなかったのかもしれませんね。
 
 
さっきも書きましたが、僕は何かを達成するためには、努力が必ず必要だと思っています。
どれだけ苦しくても、やらなければいけないことだと思います。
 
 
ですが、林先生の言葉にもある通り、努力にも方法論があります。
そんな方法論をすっ飛ばして、振りかざしてくる強者の理論が嫌いです。
 
だって、そんな理論が通ってしまったら「成功できない人は努力ができない人」となってしまうではないですか。
そんなのあまりにも悲しいじゃないですか。
 
同じ理由で、好きなことで生きていくという言葉も嫌いです。
好きなことをやっていても、突き詰めていくうちにやりたくないこともやらなくてはいけない状況になるはずです。
 
好きなことを仕事にした人の方が失業率が高いというデータもあります。
(気になる人は各自で調べてみてください)
 
 
強者の理論というのは、あまりにも言葉が省略されすぎている。
そして否定ができないから、タチが悪い。
 
結局、上辺をすくっているだけなんです。
奥に進めば進むほど、暗く、どす黒くなっていく。
でも、そこまでは話さないんです。
キレイなところだけ話した方が耳障りがいいから。
 
それをまともに受け取って、失敗した時、その人はどうなるんでしょうね。
僕は想像したくもないです。
 
それでは。

僕たちはカカポなのかもしれない

 

カカポという鳥をご存知だろうか。

 

ja.wikipedia.org

 

originalnews.nico

 

詳しくは上記を見てみてください。

二つ目の記事はとてもわかりやすいです。

元動画もおススメです。

 

彼らは鳥類であるにも関わらず、空を飛ぶことができない。

主にニュージーランドに生息している。

長い間、天敵のいない土地で平和に暮らしていた。

天敵がいなければ、飛んで逃げる必要もない。

そして、羽を使わなくなり、退化し、飛べなくなった。

 

これに、とても近いものを感じてしまった。

 

人には本来、欲求というものがあります。

三大欲求といわれる「食欲・性欲・睡眠欲」他にも色々あります。

 

言い方を変えれば、熱意。

現状より上を目指そうとする熱意。

 

ですが、僕も含め、熱意がない人もいます。

 

なぜでしょうか。

 

天敵がいなくて、熱意を持つ必要がなかったから。

ではないでしょうか。

 

天敵というのは、人によって違うでしょう。

例えば、ライバル。

こいつには絶対に負けたくない。と思える相手。

例えば、毒親

こんな親元さっさと離れて、自立してやる。

 

色々あるでしょう。

 

ですが、そもそも勝ち負けなんてどうでもいい。

負けたって構わない。と思っている人もいるでしょう。

 

勝ち負けにこだわらなければ、熱意なんて必要がない。

そして、熱意が少しずつ退化してしまっているのではないだろうか。

 

天敵がいなければ、生きていく上で大事なものを失ってしまうかもしれません。

 

 

その後、カカポがどうなったか、ご存知でしょうか。

彼らは、環境の変化に全くついていけず、絶滅寸前まで追い込まれてしまいました。

ですが、今現在、カカポは絶滅していません。

なぜでしょう。

 

彼らはとても人懐っこいのです。

天敵がいない環境で生きてきたので、警戒をする必要がないのかもしれませんね。

カカポを撮影しに来たカメラマンに対して交尾活動を始めたという話もあります。

 

そんな人懐っこく、愛されキャラなカカポのことをニュージーランド政府はカカポ保護計画を打ち出し、保護を本格的に始めました。

現在、数は少ないものの、以前より生息数は増えているようです。

 

熱意という羽根が退化してしまった僕たちに使えるのは、人懐っこさという武器だけかもしれませんね。

そして、そんな人懐っこさすら、持ち得ない人は絶滅へと向かっていくのかもしれません。

 

それでは。

 

ひと月

 

こんにちは、okinaです。

 

ブログの更新を再開してひと月が経ちました。

まぁ、なんてことはないんですが、何か変わったことがあるかまとめておこうと思います。

 

 

……何も変わってないな。

仕事も相変わらずしていないし、性格が変わったわけでもない。

ブログがバズって、記事執筆の依頼が来たわけでもない。

 

何もかも変わってないですね。

強いて言うならタバコの本数が増えたくらい。

 

あ、でもタイピングは早くなったかもしれませんね。

昔からそこそこ打てている方だとは思うんですけど、最近パソコンで文字を打ち込むことから離れていました。

リハビリがてら始めたこともあり、昔ほどではないですが、少し早くなった気がします。

 

あとは~~~~~えーっと…

変わってないですね!!!!!!!!

 

ひと月じゃ人は変わらないですよ。

年単位で考えても、変わらないんですから。

そんな簡単に変わるわけがない。

 

ブログは地道にコソコソと続けていくつもりです。

有名なブログではないですから、ネットの片隅でコソコソと。

これからも変わらず、変なことを書いていきます。

 

もし見ている人がいたら、これからも暇なときに読んでやってください。

 

そして未来の自分。

たぶんだけど、ひと月経っても変わらないから、一年経っても変わらないよ。

その苦しみを抱きながら、生きていくしかないんだよ。

 

まぁなんとかなるからがんばれ。

 

それでは、また。

神も宗教もいんない 見えんもんに触れんのちょっとずるいとすら思う

 

こんにちは、okinaです。

 

タイトルは鷲崎健さんのワルツという曲の歌詞です。

とっても素敵な曲なのでぜひ一度聴いてみてください。

 

その中でもこのフレーズを取り上げたのは、最近思うことがあるからです。

 

 

「見えないものを信じられるってすごくない?」

 

 

それがなんであれです。

神でも宗教でもいい。愛情、友情等の感情。

目には見えないのに、なぜそんなにも信じられるのでしょうか。

 

僕は、基本的に神も宗教も幽霊も信じていませんし、感情もあまり信じていません。

ですが、少し羨ましいとも思うんです。

自分が信じられないものを信じ、それに対して疑うこともない人のことが。

 

突然ですが、僕は八方美人気質です。

自分の意見を話して会話をするより、相手が何を言われたら喜ぶのか。

常にそこを気にして会話をしています。

これ、続けるとどうなるかわかりますか?

 

「自分の気持ちがわからなくなるんです。」

 

自分の気持ちより相手の気持ちを優先していますし、当然ですね。

何が自分の気持ちなのかわからなくなります。

 

こうなると、何も信じられなくなります。

相手が思いやってかけてくれた言葉でも、何か裏があるのではないかと勘繰ってしまったりします。

自分がいつもしていることですからね。

 

これは前回の記事にもつながってきますね。

詳しくはそちらに書いたのですが、先日「自分のことが好きすぎじゃない?」と言われました。

 

ところが全く心当たりがない。困った。

そんな時に、上記のことを考えると話がつながります。

 

僕は自分のことが嫌いで、自己肯定感が低いです。

その為、自分の意見より相手の気持ちを優先してしまいます。

 

でも、そのプロセスを知らない人が見たら、自分が傷つかない為に予防線を張っているようにしか見えないんですよね。

僕の心が傷つかない為の予防線。

そうではないと、自分では思っているのですが。

 

最近ずっと心に引っかかっていたものがとれた気がします。

 

話が逸れましたが、僕はこんな自分のことが大嫌いです。

自分の嫌いなところがわかっているにも関わらず、何も変えようとしない。

少し動くだけで、現状は変わるはずなのに、変化を恐れて何もしない。

吐き気がするほど嫌いです。

 

それでも僕は何も変えようとしないと思います。

人はそんなに簡単に変われません。

 

「意識が変われば 行動が変わる

行動が変われば 習慣が変わる

習慣が変われば 人格が変わる

人格が変われば 運命が変わる

運命が変われば 人生が変わる」

よく聞く言葉ですね。

最近知り合った人に、名言名鑑みたいな人がいまして、よくこういうことを言ってます。

その人もこの言葉を言ってました。

僕はこの言葉大嫌いです。

言っていることはわかります。

わかるんですが、強者の論理感がして、素直に信じられないんですよね。

 

この言葉を聴いて、実際に実践をして、人生が変わったという人もいるでしょう。

ですが、それは「たまたま」その人に当てはまっただけなんです。

万人に当てはまるとは限らない。

 

これを言っている人に聴きたい。

「どうやって意識を変えるんですか?」

 

「意識をする」って言葉にすると簡単ですけど、実践しようと思うとめちゃくちゃ難しいですよ。

その方法論がないんです。

 

だから上っ面をさらっている人にはもってこいの言葉なんですよ、これ。

これが名言として受け入れられているということは「は~~すごい~~」と思う人がいるってことなんでしょうね。

こわいこわい。

 

またしても話が逸れましたが、僕はずっとこのままだと思います。

変えようとする気がないですから。

そんなところに労力を割くのが面倒だと思ってしまいます。

歳なんですかねぇ。

 

今日は、形のないものを信じられない人のお話でした。

 

読み返してみると中々に可哀そうな人ですね。僕。

面白い。

 

それでは

 

 

理解したつもりでも、理解できていないことってよくあるよね

 

こんにちは、okinaです。

 

最近、色々と変化があって、精神面がついてこず、ぐったりしております。

頭使いすぎて、知恵熱だしてる可能性、あります。小学生か

 

最近色んな人と話をする機会があったんです。

その中で、理解したつもりで理解できていないことがあったので、ここに残しておこうと思います。

 

 

僕は基本的に、自分のことがあまり好きではありません。

自己肯定感が低いタイプの人間です。

そして人の顔色を過剰に伺いながら会話をしてしまいます。

 

なので、人から見ても、そう思われているだろうなと思っていました。

ですが、少し前に「自分のこと好きすぎじゃない?」と言われまして。

これが結構衝撃でした。

 

自分では全くそんなことは思ってなくて、他人からも「自分のことが嫌いな人」と思われていると思ってました。

でも、外から見ると、そういう風にも見えるんだなと。

 

他人から見るとどう見えるか、理解しているつもりが、理解できていなかったですね。

 

かなり衝撃を受けて、ネットで色々調べたり、人に聞いてみたり色々しました。

言ってくれたおかげで、新しいことに気づくことができたという点ではプラスです。

 

ですが、割とショックでしたね。

僕が自分のことを理解していることと同じで、他人も自分のことを理解していると思い込んでいました。

他人が人のことを理解することなんて難しいのに。

理解されていないこともショックでしたが、何よりも、自分が理解されているものだと思い込んでいることがとても恥ずかしくて、それが何よりショックでした。

おこがましいにも程があると。

 

一つのきっかけにはなりましたね。

色々と自分の意識を改めるきっかけになったのでありがたいですね。

 

最近あったショックな出来事でした。

人の心理って難しいもので、お互いを理解しあうのってとても難しいことですよね。

理解したつもりになっていることって結構あると思います。

 

これを機に色々見直していこうと思います。

 

それでは