神も宗教もいんない 見えんもんに触れんのちょっとずるいとすら思う
こんにちは、okinaです。
タイトルは鷲崎健さんのワルツという曲の歌詞です。
とっても素敵な曲なのでぜひ一度聴いてみてください。
その中でもこのフレーズを取り上げたのは、最近思うことがあるからです。
「見えないものを信じられるってすごくない?」
それがなんであれです。
神でも宗教でもいい。愛情、友情等の感情。
目には見えないのに、なぜそんなにも信じられるのでしょうか。
僕は、基本的に神も宗教も幽霊も信じていませんし、感情もあまり信じていません。
ですが、少し羨ましいとも思うんです。
自分が信じられないものを信じ、それに対して疑うこともない人のことが。
突然ですが、僕は八方美人気質です。
自分の意見を話して会話をするより、相手が何を言われたら喜ぶのか。
常にそこを気にして会話をしています。
これ、続けるとどうなるかわかりますか?
「自分の気持ちがわからなくなるんです。」
自分の気持ちより相手の気持ちを優先していますし、当然ですね。
何が自分の気持ちなのかわからなくなります。
こうなると、何も信じられなくなります。
相手が思いやってかけてくれた言葉でも、何か裏があるのではないかと勘繰ってしまったりします。
自分がいつもしていることですからね。
これは前回の記事にもつながってきますね。
詳しくはそちらに書いたのですが、先日「自分のことが好きすぎじゃない?」と言われました。
ところが全く心当たりがない。困った。
そんな時に、上記のことを考えると話がつながります。
僕は自分のことが嫌いで、自己肯定感が低いです。
その為、自分の意見より相手の気持ちを優先してしまいます。
でも、そのプロセスを知らない人が見たら、自分が傷つかない為に予防線を張っているようにしか見えないんですよね。
僕の心が傷つかない為の予防線。
そうではないと、自分では思っているのですが。
最近ずっと心に引っかかっていたものがとれた気がします。
話が逸れましたが、僕はこんな自分のことが大嫌いです。
自分の嫌いなところがわかっているにも関わらず、何も変えようとしない。
少し動くだけで、現状は変わるはずなのに、変化を恐れて何もしない。
吐き気がするほど嫌いです。
それでも僕は何も変えようとしないと思います。
人はそんなに簡単に変われません。
「意識が変われば 行動が変わる
行動が変われば 習慣が変わる
習慣が変われば 人格が変わる
人格が変われば 運命が変わる
運命が変われば 人生が変わる」
よく聞く言葉ですね。
最近知り合った人に、名言名鑑みたいな人がいまして、よくこういうことを言ってます。
その人もこの言葉を言ってました。
僕はこの言葉大嫌いです。
言っていることはわかります。
わかるんですが、強者の論理感がして、素直に信じられないんですよね。
この言葉を聴いて、実際に実践をして、人生が変わったという人もいるでしょう。
ですが、それは「たまたま」その人に当てはまっただけなんです。
万人に当てはまるとは限らない。
これを言っている人に聴きたい。
「どうやって意識を変えるんですか?」
「意識をする」って言葉にすると簡単ですけど、実践しようと思うとめちゃくちゃ難しいですよ。
その方法論がないんです。
だから上っ面をさらっている人にはもってこいの言葉なんですよ、これ。
これが名言として受け入れられているということは「は~~すごい~~」と思う人がいるってことなんでしょうね。
こわいこわい。
またしても話が逸れましたが、僕はずっとこのままだと思います。
変えようとする気がないですから。
そんなところに労力を割くのが面倒だと思ってしまいます。
歳なんですかねぇ。
今日は、形のないものを信じられない人のお話でした。
読み返してみると中々に可哀そうな人ですね。僕。
面白い。
それでは