心の不感症かもしれない
こんにちは、okinaです。
書くことがありません。
どうしよう。
少し前までは生活している中で、思うことが色々あった。
大半が取るに足らないことではあるのだが、感じてはいたのだ。
ところが最近、何も感じなくなってきたのだ。
ネットサーフィンしていても、文字に起こすほど強く感じることがなくなってしまった。
ここ数日の記事は、思ったことを溜めておいて記事に起こしただけ。
本当に何もなくなってしまったのだ。
今まで経験した悩み事は、解決策が頭の中に思い浮かぶものばかりだった。
失恋は時間が解決してくれるし、お金がないなら働けばいい。
でも、この悩みはどうだろう。
何も感じなくなってしまいました。どうしたらいいですか?
わからん。
原因がわからないから、解決策もさっぱりなのだ。
今から4~5年ほど前、ハロウィンやサッカー日本代表の試合後に大はしゃぎする人たちが、大嫌いだった。
「こんなに騒いで、何が楽しいんだろう」とずっと思っていた。
好きの対義語は無関心、という言葉があるが、僕は違うと思う。
好きの対義語は嫌いだ。
好きだったり、嫌いという感情に伴って、人は行動を起こす。
好意的に接したり、嫌がらせをしたり。
だから、無関心というのは、「普通」の状態だと思う。
無関心だから、何もしない。それが好きという感情の対義語だと本気で思うのだろうか。
話が逸れました。
今となっては「どうでもいい」としか思えない。
僕に迷惑のかからない範囲でやっているなら、勝手にどうぞ。
そういった感情の行きつく果てが今なのかもしれない。
ツイッターやニュースで日々、飛び込んでくるものに対しても同じだ。
僕に迷惑がかからなければ、なんでもいい。
自分で、自分のことをこんなにも哀れだと思ったのは初めてかもしれない。
喜怒哀楽、熱意、そんなものがごっそりと抜け落ちてしまっている。
だが、正直、そんなに不安に感じているわけではなくて。
感じなくなること自体は何も問題ない。(問題はある)
一番怖いのは、何も感じなくなり、転じて人を攻撃してしまうことだ。
現に今、攻撃ほどではないが、人が楽しそうにしていたり、熱意のある人を見ると、とても妬ましく見える。
自分にないものを持っているのが、本当に妬ましい。
そういった嫉妬の感情が、人への攻撃に向かってしまうことが、今の一番の心配です。
別に僕はどうなろうといいんですよ。
ただ、人に迷惑をかけるのはいただけない。
ということで、ブログの更新頻度が減ると思います。
次、更新する時、人を攻撃するような人になってないといいなぁ。
それでは。