結果か過程、どちらが大事なのか
こんにちは、okinaです。
僕の好きなゲーム、グラブルで古戦場というイベントが始まりました。
騎空団というチーム同士の対戦イベントです。
ツイッター上では「古戦場から逃げるな」という言葉がトレンドに入るくらい有名なイベントですね。
当然のように僕も古戦場からは逃げられないので、イベントをこなしながらブログを書いています。
今日はタイトルの通りなんですけど、結果か過程どちらが大事なのか、自分の考えを残しておこうと思います。
昨日寝るときにふと思いついて考えていたら寝れなくなりました。
そんな憎しみの気持ちもこめて、つらつら書いていきます。
保険をかけておきますが、この話って、結局のところは「人それぞれ」だと思うんですよね。
結果を求めても良いし、過程を求めるのも良いと思います。
どちらが良い悪いではなく、僕がどちらの考えなのか、そういう話です。
僕は「過程」に重きを置く人間です。
結果だけを求めるのって、なんだかもったいないと思ってしまうんですよね。
例えば、高校生・野球部で話をしてみましょう。
「高校生」「野球」といえば、やはり甲子園でしょう。
ここでいう「結果」とは甲子園出場ということにしましょう。
その為の「過程」は練習になるでしょう。
僕の考えとしては、もし甲子園に出場できなかったとしても、血の滲むような努力は人間的にも野球の実力的にも成長ができたものだと思います。
だから甲子園に出場できなかったからといって、その過程が無駄だったかというと、そんなことはないと思います。
学生時代の熱量はとてつもなく膨大なものです。
本当に膨大です。
その熱量を全て野球に捧げるというのは、とても苦しく、大変な道のりです。
僕はその努力を続けたことに賞賛を送りたい。
ですが、結果を重視するタイプの方は少し考え方が違うと思います。
甲子園に出場できなかった。何か努力が足りなかったのではないか、僕に才能がないのではないか。
人によるとは思いますが、自分の努力、能力に対して、疑念を抱いてしまう人が多い気がします。
そこで論理的かつ具体的に、何が足りなかったのか、次はどうしたらいいのか、考えられる人はすごいと思います。
尊敬します。
話が脱線しましたね。
僕には結果よりも、その過程が何よりも尊く、尊重されるべきではないのかなぁ。と、そんなことを考えていたら寝れなくなりました。くそう
十人十色、多様性が認められるようになってきた時代です。
どのような考えがあってもおかしくないし、否定されるべきではないと思います。
(倫理感をしっかりと持っていれば)
僕は結果に興味がなくて、なぜどのようにしてその結果にたどり着いたのか、そこに興味があるという話でした。
これは前の記事からの続きになってしまうんですが、結果を重視しすぎて、過程を軽く見てしまっている人が多いと思うんですよね。そういう人を見るのがとても辛いです。
結果がダメだったら、何もかもダメではないです。
大丈夫です。
努力をすることにこそ、価値がある。
僕、東進ハイスクールの林先生が大好きで、好きな言葉があるんです。
「努力は裏切らない、という言葉は不正確です。